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研究会案内

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2017年 4月22日 第七回

 渡邉真代 「ṭilasmを論じるために:ジャービル派『探究の書』における質料と形相」(14:00 –)

 小村優太 「神は個物をどのように知るのか:イブン・シーナー、ガザーリー、イブン・ルシュド」(15:30頃 –)

場所
慶應義塾大学 三田キャンパス 北館 地下 1 階 会議室 3
日時
2017年 4月22日 14:00 — 17:00頃

内容

(1)  渡邉真代 「ṭilasmを論じるために:ジャービル派『探究の書』における質料と形相」

 ジャービル・イブン・ハイヤーン(8世紀)は、中世アラビア科学の基礎を築いた人物の一人として知られている。そのジャービルには、弟子たちによる偽作を含めて数多くの著作が歴史的に帰せられている(ジャービル派作品群)。これらの作品群のなかでも『探求の書』と呼ばれる書物はとりわけ注目に値する。なぜなら、その書物は、当時のアラビア語圏における古代ギリシア哲学・科学の受容を示すだけでなく、『賢者の極み』(ラテン語名『ピカトリクス』)の主な資料の一つとなったことで、中世・ルネサンス期の西欧における自然哲学の伝統にも多大な影響を及ぼしたからである。

本発表では、この『探求の書』のなかで重要な役割を果たしている“ṭilasm”と呼ばれる概念について考察を行う。“ṭilasm”とはギリシア語の “τέλεσμα”(<τελέω:完成させる)に由来する語であり、また “talisman”(護符、お守り)の語源とも考えられている。『探求の書』のなかで、この “ṭilasm” という言葉は、この世界に影響を及ぼす何らかの不可視な力を意味する語として用いられている。今回の発表では、『探求の書』の著者が、この概念を説明する際に古代ギリシア哲学に由来する概念や理論をどのように用いているのかを、いくつかの事例を取り上げて検証することにしたい。特に、アリストテレスの質料形相論やアフロディシアスのアレクサンドロスの摂理概念との関連性が論究されることになるだろう。

 

(2) 小村優太 「神は個物をどのように知るのか:イブン・シーナー、ガザーリー、イブン・ルシュド」

  イブン・シーナー(980–1037: ラテン語名アヴィセンナ)は、著書『治癒の書』(Kitāb al-Shifā’)の中の「形而上学」(Ilāhiyyāt)第8巻第6章で、この世界の個物にかんする神の知識を論じている。その議論は後世において様々な反響を引き起こした。「神は個物を普遍的な仕方で知る」、あるいは「神は個物を、それが普遍的である限りで知る」といった彼の主張は多くのイスラーム神学者たちにとって異端的で、無信仰であると映ったからである。そのもっとも代表的な批判者のひとりとして、ガザーリー(1058–1111: ラテン語名アルガゼル)を挙げることができる。彼は『哲学者の矛盾』(Tahāfut al-Faysalūf)の第13問題において、イブン・シーナーの主張が不合理なものであるとして批判した。しかし現代の研究者たちの態度、とりわけムスリム研究者の態度はガザーリーと正反対である。彼らはどうにかしてイブン・シーナーの議論をイスラームの内的な宗教理論と整合的に解釈しようとする。それは偉大なムスリムの哲学者が、無信仰であるはずがないという動機に突き動かされていると言うこともできるだろう(S. Nusseibehの議論はその典型である)。これはイブン・シーナーを宗教的に救うという道筋である。しかしこれとは別に、「神は個物を普遍的な仕方で知る」という言説を救う道筋を探った者がいた。それはイブン・ルシュド(1126–1198: ラテン語名アヴェロエス)である。彼は『矛盾の矛盾』(Tahāfut al-Tahāfut)において、ガザーリーの反論を反駁する。彼はガザーリーによる宗教的動機に基づいた哲学的批判を、純粋に哲学的な動機から切り崩してゆく。しかしイブン・ルシュドが救いたかったのは果たして「イブン・シーナーの」理論なのだろうか。この発表では、イブン・シーナーによる神の個物の知識理論が果たして宗教的に救われる必要があるのか、そしてイブン・ルシュドがガザーリーを反駁することによって救い出そうとしたものは何だったのかにかんする概観をおこないたい。


2016年 7月9日 第六回

 石田隆太 「神は「個」ではないのか:トマス・アクィナスによる「個」の論理」(13:00 –)

 波多野瞭 「「意向」と秘跡——13世紀における対抗に即して」(15:00 –)

場所
慶應義塾大学 三田キャンパス 研究室棟 B会議室
日時
2016年 7月9日 13:00 —17:00
会費
教室使用代へのカンパ(一人 100円)

内容

(1) 石田隆太 「神は「個」ではないのか:トマス・アクィナスによる「個」の論理」

 神の単純性を示す際の論点の一つとして、神がいかなる類(genus)の内にもないということをトマス・アクィナス(c. 1225–1274)は主張する。この主張は、『「命題集」註解』(c. 1252–1257)、『対異教徒大全』(c. 1259–1265)、『神学大全』(c. 1265–1273)というトマスの主要著作すべてにおいて見られるものであり、トマスにとって議論すべき論点の一つであったことが窺える。以上の主要著作以外でもトマスはこの主張を展開しており、『定期討論集 神の能力について』(c.1265–1266)第七問題第三項の主文では、神がいかなる類の内にもないということからの帰結として「神は種ではなく個(individuum)でもなく、また種差も定義も持たない」ということが明らかであるとトマスは述べている。本発表は、この箇所を出発点として、トマスにとって神は「個」ではないのかということを問題にする。『神学大全』第一部第二十九問題第四項主文にもある通り、「個」とは「自分においては区別されていないが他のものどもからは区別されているもの」である。『神学大全』のこの箇所がそもそも神のペルソナについて論じる箇所であることからもわかる通り、「個」であるということは神に適合すると思われる。しかしながら、神は個ではないというトマスの言明をそのまま受け取るのであれば、ここには矛盾が生じることになる。このような矛盾を出来るだけ回避することを本発表は目指す。具体的なアプローチとしては、神がいかなる類の内にもないという文脈と神のペルソナが個的なものであるという文脈のそれぞれにおいて使用される「個」という概念を整理することを考えている。

 

(2) 波多野瞭 「「意向」と秘跡——13世紀における対抗に即して」

 秘跡を構成するための要素として、事物及び言葉(定式)に加え、11世紀以来、奉仕者の「意向」が必須の要素と看做されてきた。この概念はトリエント公会議以降、具体的な規定を与えられぬまま現代のカテキズムにまで継承されている。とはいえある時期、つまり13世紀において、この「意向」の概念は秘跡論の主たる問題のひとつとして、その内容を様々な角度から問われてきた。その捉え方は必ずしも一様ではなかったため、この概念を巡る論者の見解の差異を検討することで、秘跡(あるいは秘跡論)そのものに対する態度の違いが、部分的に明らかになるのである。ここからして、「意向」を巡る対抗関係を具体的に検討する作業は極めて重要である。

 こうした観点に基づき、今回はミリトナのグイッレルムス(–1257)とトマス・アクィナス(c. 1225–1274)のテクストに対象を限定し、13世紀当時の「意向」を巡る対抗関係——具体的な意図に基づくものであれ、そうでないのであれ——を部分的に復元する。そしてこの文脈に即し、幾つかの側面から、特にトマスの秘跡論の積極的な意義を明らかにすることに注力する。

 具体的には次の順序で行おうと考えている。(1)ミリトナのグイッレルムスのテクストを扱う必要性についての説明。(2)「意向」の必要性を支える理由についての検討。(3)「意向」と表現の関係についての検討。(4)論述の順序・構造の差についての検討。


2016年 3月26日 第五回 言語文化研究所主催

第一部

 アダム・タカハシ 「中世自然哲学の形成:アヴェロエスの読者としてのアルベルトゥス・マグヌス」(13:00 –)

 本間裕之 「ドゥンス・スコトゥス:個体化の原理をめぐる研究の問題圏」(14:00 –)

第二部(バロック・スコラ哲学研究会×西洋中世学会若手セミナー共同開催

 岩熊幸男+関沢和泉 「西洋中世哲学研究において、なぜ写本を読まなければならないのか」(15:00 –)

場所
慶應義塾大学 三田キャンパス 南校舎 5階 451教室(南館ではありません)
日時
2016年 3月26日(土) 13:00 —18:00

内容

第一部

(1) アダム・タカハシ 「中世自然哲学の形成:アヴェロエスの読者としてのアルベルトゥス・マグヌス」

 西欧中世盛期のスコラ哲学の成立が、先行するイスラーム哲学に多くを負うことは一般にも広く認知されつつある。本邦でも『イスラーム哲学とキリスト教中世』といった論集が組まれたことは記憶に新しい。しかし、形而上学や認識論などの一部の領域を除くと、実際どのような形でイスラーム世界の哲学的営為がスコラ学の成立にあたり大きな寄与を果たしたのか、あるいはその西欧における受容の過程でいかなる争点が存在したのかといった諸問題は、多くの領野で依然課題として残されたままである。

 このような状況を鑑み、本発表では、アリストテレスのテクストの最も重要な「註釈者」であったアヴェロエス(イブン・ルシュド)(1126-1198)の作品を、十三世紀のドミニコ会士アルベルトゥス・マグヌス(1200-1280)がどのように受容したのかという問題に焦点を絞り議論を行いたい。とりわけ、アルベルトゥスの『生成消滅論』が、アヴェロエスの『「生成消滅論」中註解』の批判的受容によって成立したものであることを分析する。ただし、その分析では、受容者(すなわち、アルベルトゥス)の立場の正当性を単に示すのではなく、アリストテレスの議論により忠実であったのはアヴェロエスであること、そして後者の「物質主義」的な立場がどのような観点からアルベルトゥスによって批判されることになったのかを論じる。また、アヴェロエスの議論のソースとして、古代の註釈者であったアフロディシアスのアレクサンドロス(200年頃活動)の註解があることも合わせて検証を行いたい。

 

(2) 本間裕之 「ドゥンス・スコトゥス:個体化の原理をめぐる研究の問題圏」

 ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス(1266?-1308)は、中世後期のスコラ哲学を代表する人物の一人である。「精妙博士」とも称されるスコトゥスは、とりわけ形而上学の分野で独創的な見解を示し、「存在の一義性」や「このもの性」についての学説を提出した人物として知られている。また、彼の議論はライプニッツなど近代の有力な哲学者たちによって参照されただけでなく、現代でも C. S. パースや G. ドゥルーズなどの著作にその深い影響を認めることができる。

 本発表では、スコトゥスの形而上学、とりわけ「個体化の原理」をめぐる欧米の研究動向についての調査を報告する。その際、まず「個体化」の問題とはどのようなものか、および彼がどの著作で「個体化の原理」について扱っているか、という二点を確認したうえで、この問題に関するスコトゥスの学説を簡単に整理する。さらに、研究史上の重要なトピックのいくつかを取り上げ、彼の個体化の理論において何が問題とされてきたのか、ということを紹介することで、現在までの代表的な研究成果を共有することにしたい。

第二部

岩熊幸男+関沢和泉 「中世哲学研究において、なぜ写本を読まなければならないのか」

 後半の第二部は、12世紀論理学の写本研究の第一人者である岩熊幸男氏を中心に、近年欧米の研究機関・文書館がウェブ上に続々と写本のデータを公表されはじめたことで写本に接すること自体が容易になったという環境の変化を受け、写本の読解作業を通して哲学・思想を歴史的な文脈から理解する必要性について、具体的な事例をもとに検討する予定です。実際に写本を校訂はしないにせよ、写本の問題を通して、当時どのように知が流通していたかを知ること、そしてそれらが現代の文脈でどのように再構成されているかを知ることは、校訂本を通した研究にとっても役に立つはずです。

 こうした趣旨により、「歴史学分野における写本の意味」との対比が行われることも期待しつつ、活発に分野横断的な活動を続けている(その中で写本のセミナーも行ってきた)西洋中世学会若手セミナーとの合同開催になっています。


2014年 9月20日 第四回

 木村あすか 「マルティン・ルターのマリア理解」(13:00 –)

 今井悠介 「存在論と第一哲学:クラウベルクとデカルト哲学の出会い」(15:00 –)

場所
慶應義塾大学 三田キャンパス 西校舎 525B教室
日時
2014年 9月20日 13:00 —17:00
会費
教室使用代へのカンパ(一人 100円)

内容

(1) 木村あすか 「マルティン・ルターのマリア理解」

 「ナザレのマリア」「イエスの母マリア」に関して、キリスト教会は多様なイメージを提示してきた。カトリック教会の伝統においてマリアは「天の女王」「聖母」として崇敬の対象とされ、信仰の模範として、また神の救いの仲介者として、近現代に至るまで大きな役割を果たしてきた。それに対し、宗教改革によって成立したプロテスタント諸教会は「聖書のみ」「キリストのみ」という教義を強調し、「聖人に対する崇敬」を一切排したと説明される。

 しかし初期プロテスタント神学者ールター、カルヴァンーらはマリアに対する尊敬の念を持ち、それを表明していた。ルターは終世マリアへの親しみと尊敬の念を捨てなかったが、プロテスタント諸教会はルター以後、徐々にマリアに関して語らなくなっていく。

 本発表では、宗教改革初期において、「マリア論」のうち特にどのような点が議論されたのかを検討する。ルターの1523年3月11日の「マリアについての説教」(Predigt über das Ave Maria, WA 11)、1533年マリアの受胎告知に関する「卓上語録」(WA Tr.1, Nr.494)などを参照しつつ、初期プロテスタント神学者にとって「マリア崇敬」の何が問題であったのかを整理することを試みる。

 

(2) 今井悠介 「存在論と第一哲学:クラウベルクとデカルト哲学の出会い」

 クラウベルクの『オントソフィア』(Elementa philosophiae sive ontosophia, 1647)は、タイトルにある「オントソフィアontosophia」という語が著者によって「存在論ontologia」とほぼ同義の意味で用いられていることから分かる通り、17世紀初期の、「存在としての存在」、「存在である限りの存在」を対象とする「存在論ontologia」という学の発生期における、極めて重要な著作の一つである。

 ところで、クラウベルクは同時にデカルト主義者としても知られ、デカルトの方法を伝統的論理学と折衷しようとした『新旧論理学』(Logica vetus et nova, 1654)という著作を著した。このデカルト主義との出会いは、その主著『オントソフィア』の1647年の初版から第二版以降での改訂の歴史が良く表している。しかしながら、デカルト哲学は、その特質として、「存在論の無」とも呼べる性格を持っている。存在論の探求とデカルト哲学はどのような点で関わり、また関わらないのか、本発表では、クラウベルクのいくつかのテキストを読みつつ、存在論とデカルト哲学との交錯の一端について考えてみたい。


2014年 7月19日 関連企画ご案内(慶應義塾大学言語文化研究所公募研究公開シンポジウム)

 トマス・アクィナスと <存在> の哲学
—— 稲垣良典 『トマス・アクィナス「存在」の形而上学』 をめぐる討論 ——

場所
慶應義塾大学 三田キャンパス 北館ホール
日時
2014年 7月 19日 13:00 —17:00 (入場料無料

第1部:講演(13:00 — 14:00)

 【題 目】 「トマス存在論の問題と挑戦」

 【講演者】 稲垣良典(九州大学名誉教授)

第2部:コロキウム(14:10 — 17:00)

 【題 目】 「稲垣良典 『トマス・アクィナス「 存在(エッセ) 」の形而上学』 (春秋社、2013年)をめぐって」

 1.« 前半:14:10 — 15:00»

   【コメンテーター】

  • 加藤和哉(聖心女子大学教授)
  • 上枝美典(慶應義塾大学文学部教授)
  • 川添信介(京都大学大学院文学研究科教授)

 2.« 後半:15:10 — 17:00»

   【コメンテーター】

  • 片山寛(西南学院大学神学部教授)
  • 山内志朗(慶應義塾大学文学部教授)

   稲垣良典先生のコメント

   質疑応答


2014年 4月26日 第三回

 佐藤恒徳 「完全性概念の変貌 —— ライプニッツからカントまでの展開とスコラ哲学的背景 ——」(13:00 –)

 関沢和泉 「言語起源論 —— 1270年、1600年」(15:00 –)

場所
慶應義塾大学 三田キャンパス 南校舎 441教室
日時
2014年 4月26日 13:00 —17:00
会費
教室使用代へのカンパ(一人 100円)

内容

(1) 佐藤恒徳 「完全性概念の変貌 —— ライプニッツからカントまでの展開とスコラ哲学的背景 ——」

 完全性(perfectio)の概念は今日の哲学にとって、あまり馴染み深いものではない。しかし、この概念はアリストテレスによって定義され、神にふさわしい概念として、あるいは超越概念の一つとして、カントの時代に到るまで形而上学の伽藍の一隅をしぶとく占拠し続けてきた由緒正しい哲学的概念である。

 本発表では、デカルト以後、とりわけライプニッツ以後、ヴォルフ学派を経て、カントによる厳しい批判に晒されるまで、完全性の概念がどのような変貌を遂げていくかを見る。さらに、スコラ哲学におけるこの概念の扱いに目を向けることで、この変貌をより大きな文脈の中に位置づけることを試みる。完全性を、デカルトは実在性(realitas)と同定し、ヴォルフは多様における一致(consensus in varietate)として定義したが、いずれの理解もそれほど一般的なものだったわけではない。

 ライプニッツ、ヴォルフ、バウムガルテンのラテン語テクスト群を取り上げて、カント哲学と関係づけるとともに、ヴォルフがスコラの超越概念としての完全性(bonitas transcendentalis)について論じる際に参照しているスアレスの『形而上学討論集』を例にとり、スコラ哲学において完全性の概念がどのように扱われていたかを瞥見する。

 

(2) 関沢和泉 「言語起源論 —— 1270年、1600年」

 「言語起源論」という言葉で、言語思想・哲学の歴史に多少とも関心を持つ人であれば、18世紀のルソーやヘルダーによるそれを思い出すかも知れない。他方、より言語学寄りの関心を持つ人であれば、1866年のパリ言語学会によるこの主題の学門性の否定と、近年の「生物言語学」的探求における、この主題の回帰について考えることであろう。

 デカルトも自身のスコラ的な伝統の記憶として言及する、コインブラ学派によって出版された一連の「教科書」、一部は漢文にも翻訳されるなど広く流通した教科書群の中に含まれている『命題論』への註解にあたる個所で、人間が自然本性的に共通の音声言語を有するかどうかが検討されている。一見したところ、これは、他の個所にも見られるように、それ以前のスコラ哲学的伝統のそれなりに包括的な要約にも見える。

 時代をさかのぼると、たとえば13世紀後半から14世紀にかけて特に大きな拡がりを見せた言語学・言語哲学の一派である様態論学派 modistae の中でも、1270年代前後に特に目立った形で、こうした問題が確かに議論されていた。また、完全な形で同意する研究者は現在それほど多くはないものの、こうした動きとダンテ・アリギエリの『俗語詩論』における言語起源論との関係を想定する研究者も存在している。とはいえ、そうした様態論学派における議論は、—— テキストの発掘の進展にも依存するものなので、決定的な結論を出すのは難しいが —— 1290年代ごろには、少なくとも様態論学派の内部では、なぜか、すでにあまり関心を呼ばなくなっていたようではあるのだが。

 ところで、1600年前後のコインブラ学派周辺における議論と、1270年前後の様態論学派周辺における議論は、議論の要点・内容だけを考慮するならば、意外なほど多くの要素を共有している。その様子に、特に現代の私たちは、コインブラ学派で言及される多くの「権威 auctoritates」は、13世紀様態論学派によって、たとえ名指しされていなくても、—— また、例えばヘロドトスの場合のように当時はいまだラテン語訳はされておらず二次的な典拠を介する場合もあるにせよ ——、ほぼ共有されていたのであり、単に偶発的な理由により必ずしも言及されていないだけなのだろうと結論したくなるかもしれない。だが、実際には13世紀のバージョンにおいて名指しされていないということは、当時の(学芸学部の)学問の形態にとって、単なる省略以上の意味を持っていたのではないか。そして、二つの議論の形式を比較することによって、1270年代のテキスト特有の「読みにくさ」の一端が示されるのではないだろうか。

 人間言語の起源への問いの、ほぼ300年を隔てる二つのバージョンを読み比べながら、以上のような問題を考えてみたい。


2014年 3月 1日 第二回

 河野雄一 「エラスムス『ヒペラスピステス』第二巻における「適宜的功績」と「応報的功績」 —— ルター『奴隷意志論』における『自由意志論』批判への応答の一側面 ——」(13:00 –)

 井上一紀 「スアレスの形而上学 —— 一義性とアナロジーの間で」(15:00 –)

場所
慶應義塾大学 三田キャンパス 西校舎 523A教室
日時
2014年 3月 1日 13:00 —17:00
会費
教室使用代へのカンパ(一人 100円)

内容

(1) 河野雄一 「エラスムス『ヒペラスピステス』第二巻における「適宜的功績」と「応報的功績」 —— ルター『奴隷意志論』における『自由意志論』批判への応答の一側面 ——」

 本発表の目的は、エラスムス『ヒペラスピステス』第二巻(Hyperaspistes adversus servum arbitrium M. Lutheri liber secundus, 1527)における「適宜的功績」(meritum de congruo)と「応報的功績」(meritum condignum)を取り上げることで、ルター『奴隷意志論』(De servo arbitrio, 1525) における『自由意志論』(De libero arbitrio διατριβή sive collatio, 1524)批判への応答の一側面を明らかにすることである。当該二つの功績概念は、前回第1回の研究会「ガブリエル・ビールの唯名論的倫理学とルターの批判」において山内先生によって取り上げられたものであり、ルターがペラギウス主義として批判する根拠となるものである。当該概念におけるルターの批判に対するエラスムスの応答を確認することによって、ルターがどのように『自由意志論』を曲解したか、および両者による中世思想の継承の仕方の違いを浮き彫りにすることを試みたい。

 

(2) 井上一紀 「スアレスの形而上学 —— 一義性とアナロジーの間で」

 本発表は、スアレスの形而上学を存在の一義性/アナロジーの視点から展開しようとするものである。

 スアレスにおいて形而上学の対象は、事象的存在である限りの存在(ens inquantum ens reale) と明確に言われ、このように規定された存在は無限な存在と有限な存在、すなわち神と被造物を包含すると述べられる。 全二部から成る『形而上学討論集』の第一部は、神や被造物がどのようなあり方をしているのかについて論じる前に、両者に共通する存在概念を提示している。ここから、被造物の存在をあくまで神の存在の分有によって捉える思考のあり方に対する、スアレスにおける存在の一義性テーゼの継承を考えることは容易だろう。

 だがスアレス自身の用語法に厳密に沿うならば、事象的存在である限りの存在は神と被造物に共通しているという事態を、そのまま存在が神と被造物に一義的であると言い換えることはできない。「したがって、存在のもとで被造物が神に対して有しうるアナロジーあるいは帰属は[……]神への本質的な関係ないし依存を有する固有で内的な存在のうちに基礎づけられている」(DM, 28, 3, 16)。

 以上のラフな素描からは、スアレスは存在の一義性を肯定したのか、アナロジーを守ろうとしたのかという問いが現れる。わたしたちは、卓越博士における両テーゼの解像度を上げながら進むことでこの問題を解消し変形する方へと向かう。


2013年12月21日 第一回

 山内志朗 「ガブリエル・ビールの唯名論的倫理学とルターの批判」

場所
慶應義塾大学 三田キャンパス 南校舎 441教室
日時
2013年 12月 21日 13:00 —17:00
会費
教室使用代へのカンパ(一人 100円)

内容

 ルターの初期の著作には、自分のうちにあることをなす(facere quod in se est)は死に至る罪(peccat mortaliter)、自分のうちにあることをなすことによって、恩寵に達しようと考えるならば、罪に罪を加え、二重に罪を犯すことになってしまう、という主張が見られる。ここに見られるのは、アリストテレス倫理学への敵対心が見られる。

 「アリストテレス倫理学のほとんど総てが恩寵にとって最悪の敵である(Tota fere Aristotelis Ethica pessima est gratiae inimica)」

 「アリストテレスの全著作は、神学にとって光に対する闇のようなものである(Totus Aristotels ad theologiam tenebrae ad lucem.)」『「スコラ神学反駁」討論』 Disputatio contra scholasticam theologicam 1517.)

 そして、「自分のうちにあることをする=全力を尽くす」ことへの執拗な批判は、ガブリエル・ビールの『命題集註解』に展開された恩寵論への批判であり、自由意思論への批判であった。オバマン(Heiko Augustinus Oberman)が『中世神学の成果』(The Harvest of Mdieval Theology, 1983)で探求したビールの思想は批判的にルターに受容されたのである。

 中世末から近世初頭への倫理学の流れを概観するためには、アリストテレス倫理学の中世的受容と、14世紀以降に顕著になる唯名論的倫理学の流れ(ジャン・ジェルソン、ガブリエル・ビール)を明確にする必要がある。今回は、ガブリエル・ビールの facere quod in se est の理論を取り出すことで、恩寵論、救済論、行為論との関わりを考えたい。

 17世紀的自由論の背景としても重要であると思われる。


 

 

 

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